『動労千葉が歩んできた道』(田中康宏著)を発行。定価1100円(本体1000+税10%)。全国の書店で発売中。
ISBN978-4-434-30181-0
本書は、動労千葉の田中康宏顧問(前委員長)が、労働学校で動労千葉の歴史と到達点について話したことをまとめたもの。「『動労千葉が歩んできた道』を語る際に心がけたこと。一つは、その時々の現場の状況や雰囲気が、できる限り具体的に目に浮かぶようにしたいということ。もう一つは、闘いの様々な局面で、一人ひとりの労働者やリーダーがどんな問題に突き当たり、何が問われたのかを少しでもはっきりさせたいと思いました。三つめは、戦後日本労働運動がのりこえなければいけない実践的課題を、動労千葉の闘いの経験を通して一つでも二つでも示すことができないかという思いがありました」(「はじめに」)。新自由主義攻撃の下で日本の労働運動は大きく後退したが、反合理化・運転保安闘争路線を確立し国鉄分割・民営化に対して二波のストライキを闘った動労千葉は、「労働運動の再生は、この時代に求められている最先端の変革だ」と訴えて闘い続ける。
目 次
はじめに ―― 労働運動の再生が最先端の変革だ
第Ⅰ部 反合・運転保安闘争とは何か
1 動労千葉の始まり
——労資協調派の御用組合から闘う労働組合への脱皮
⑴ 機関車労働組合の結成(1951年)と動力車労働組合への名称変更(1959年)
⑵ 闘う労働組合への脱皮―事故問題、国鉄闘争・政治闘争の高揚
⑶ 5万人反合闘争、国鉄マル生攻撃と職場からの闘いの胎動
2 船橋事故闘争と反合・運転保安闘争路線の確立
⑴ 1972年3月、船橋事故が発生
⑵ 闘いの始まり
⑶ これまでの反合理化闘争の限界を打ち破る
3 船橋事故闘争と表裏一体で闘われた動労改革の闘い
――「青年部問題」と闘う執行部の誕生
⑴ 青年部問題の発生(1970年)
⑵ 労働組合はいかにあるべきかをめぐる組織をあげた議論
⑶ 動労千葉の揺るがない階級的団結の根拠
4 ジェット燃料貨車輸送阻止闘争と動労本部からの分離・独立
⑴ 動労千葉にとって「ジェット燃料貨車輸送」とは
⑵ なぜ闘いに立ち上がることができたのか
⑶ 闘いへの突入
⑷ 動労津山大会(78年)
⑸ 分離・独立へ(79年3月)
5 国鉄分割・民営化反対闘争
6 JR外注化阻止・非正規職撤廃闘争
⑴ 重大な情勢の転換と外注化攻撃
⑵ シニア制度反対――動労千葉の新たな決断
⑶ 外注化攻撃の始まり
⑷ 現場の力はどうやってつくられたのか
⑸ 外注化阻止闘争が広げた波紋
⑹ 外注化阻止闘争が切り開いた地平
7 運転基地(拠点職場)廃止攻撃との闘い
⑴ 次々に襲いかかった基地廃止攻撃
⑵ 勝浦運転区廃止反対闘争
⑶ 館山運転区廃止反対闘争
⑷ 闘いの発展
8 労働運動の再生をめざして——動労千葉が貫いてきた理念
⑴ 労働者階級全体の利益を忘れないこと
⑵ 資本と労働者の非和解性を曖昧にしない
⑶ すべての闘いを団結で総括する
⑷ 時代認識をもつことの重要性
⑸ 路線・方針と義理・人情が大事
⑹ 問われるのは指導部
⑺ 動労千葉の運動思想
第Ⅱ部 国鉄分割・民営化攻撃との闘い
1 はじめに
⑴ 国鉄分割・民営化攻撃の歴史的位置
⑵ 今改めて問う意味
⑶ 今現在の問題―国鉄解体と医療崩壊
⑷ 今JRで何が
2 国鉄分割・民営化攻撃とは何だったのか
⑴ 攻撃の始まり
⑵ 国鉄分割・民営化攻撃
3 国鉄分割・民営化反対闘争——二波のストライキへの決起
⑴ 嵐の始まり(1981~1984年)
⑵ 国鉄労働運動の分岐
⑶ 1985年7・26国鉄再建監理委員会最終答申と11・28―29第一波ストライキの決断
⑷ 正念場の年―1986年
⑸ 1986年2・15 第二波ストライキへの決起
⑹ 民営化前夜の攻防
⑺ 闘いは何を切り開いたのか
4 JR体制下での闘いの継続
⑴ 〝満身創痍〟からの出発
⑵ 民営化直後の攻防
5 国鉄1047名解雇撤回闘争
⑴ 1047名解雇撤回闘争とは何か
⑵ 国鉄1047名解雇撤回闘争の意義
⑶ 「4党合意」から政治決着へ
6 国鉄分割・民営化反対闘争を闘って――まとめにかえて
⑴ 新たな課題への挑戦
⑵ まとめにかえて